【ハプスブルグ家による欧州支配】

【ハプスブルグ家による欧州支配】
ハプスブルグ家は中世の13世紀から20世紀初頭までの約700年間にわたる欧州の政治と文化に大きく関与してきた。その影響範囲は中欧のオーストリアばかりでなく、スペイン、ポルトガルポーランド、ドイツ、イタリア、バルカン半島までとヨーロッパ全域に及んでいる。日本で言えば江戸時代の幕藩体制のようなものか、はたまた今のEUのようなものか。約700年に及ぶ支配の中で、異なる民族に多言語の違いをどのように克服したのか、結婚政策、フランスとの対決、オスマントルコの侵入、プロテスタント問題、・・・、サラエボの悲劇、ハプスブルグ王朝の終焉と続く歴史は興味が尽きない。

 

【ハプスブルグ家の歴史(1)】
ウィーンでは、ハプスブルグ家ゆかりの地と言うことで、オプション観光で新旧の王宮やシェーンブルン宮殿をガイドして貰った。何百年にもわたる王家の歴史の中で、女帝マリア・テレジア、ヨーゼフ1世がいつどこで何をしたと聞いても殆ど理解できなかった。山川の世界史をひもといて、中世のヨーロッパの歴史が神聖ローマ帝国と言う存在に大きく影響を受けてきたこと、帝国におけるハプスブルグ家の存在などにさらに興味が湧き、講談社現代新書「ハプスブルグ家(江村洋)」「戦うハプスブルグ家(菊地良生)」を読んでみた。

 

【ハプスブルグ家の歴史(2)】
ハプスブルグ家の歴史を読んでも、同じ皇帝の名が何人か出てきて、頭がごちゃごちゃになる。自分の頭の整理をこの場を借りてしてみたい。
とりあえずハプスブルグ家の源流はオーストリアではなく、スイスである。ライン川の上流、バーゼル近辺の田舎大名であった。「鷹の城(ハビヒツブルグ)」が訛って「ハプスブルグ」となった(Wikipedia)が、1273年にハプスブルク伯のルドルフがドイツ王(皇帝に戴冠していない神聖ローマ帝国の君主)に選出されて世に出た。以降、最後のオーストリア皇帝カール1世が退位する1918年まで続く(日本の天皇に次ぐ)名門家の歴史である。写真は「双頭の鷲」でハプスブルグ家(オーストリア帝国)の紋章であるが、「双頭の鷲」は神聖ローマ帝国東ローマ帝国、東欧諸国の国旗などにも使われている。

 

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