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【主権国家体制の成立】

 
昨年6月英国が「欧州連合EU」から離脱を選択した。中世の西欧は日本の大名が管轄する程度の範囲を王様や聖職者・貴族が荘園として管理していた。特にドイツは300近くの諸侯が乱立しており、ゆるーい結合として神聖ローマ帝国が存在していた。神聖ローマ皇帝は7人の選帝侯が選挙で選んでいたが、徐々にハプスブルグ家が世襲するようになっていった。一方、フランスは100年戦争、農民戦争などを経て王権の強化が進み中央集権化していた。この16世紀から17世紀にかけて西欧は主権国家に変貌していく。それを明確に規定したのが、三十年戦争の「ウェストファリア条約」であった。

三十年戦争ウェストファリア条約終結した。神聖ローマ帝国という、今のEUと重なる西ヨーロッばの広域支配体制が崩壊した。オーストリアとスペインを支配していたハプスブルグ家が力を失い、オランダ、スイスが独立し、ドイツは諸侯に分かれたままだが王侯貴族を中心とした主権国家体制が確立しつつあった。イタリアは教皇領、諸侯領と別れていたが