【電気自動車(EV)の動向/R5.11.28】
【電気自動車(EV)の動向/R5.11.28】脱炭素ウォッチャーとして洋上風力発電の動向を調べてきたが、やはりEVのことは大いに気になるところ。日経新聞はSDGsや脱炭素を全社を挙げて推進していることから関連する記事も多く、11月18日朝刊版には『EV 中国ブランド激戦』という記事があった。また同日の電子版には『EV大競争時代 攻めるテスラ・BYD,どうするトヨタ・VW』という日経BPロンドン支局長(大西孝弘氏)が書いた記事が掲載されていた。大西孝弘支局長は欧州の自動車メーカー幹部やEVユーザーを徹底取材し、EVシフトの本当の意味を解き明かした『なぜ世界はEVを選ぶのか 最強トヨタへの警鐘』(2023年9月、日経BP発行)という書籍を書いている。
この本はまだ読んでいないが、わが日本は自動車産業が何とか外貨を稼いでいると思っているので、何に警鐘を鳴らしているか気になるところではある。個人的にはEV
シフトは欧州や米国がハイブリッド車を開発できなかったことによる覇権争いだと思っており、中国にとっても内燃機関による開発競争では勝てないので千載一遇のチャンスだと思っているはずである。EVはコストの4割がリチウムイオン電池となり、原材料は大部分を中国が握っています。バッテリも写真にあるように『理想汽車「充電12分で500キロ」』とあるように技術革新が進んでいるようです。大西支局長の言うように中国にEVの覇権を奪われたら日本に強い製造業はなくなり、これからますます日本は貧しくなっていきます。ただ救いがあります。現在のバッテリは液体のリチウムイオン電池ですが、電解質を固体にした次世代型の本命とされる「全固体電池」を搭載したEVを投入するとトヨタが発表したことです。10分の充電で1200キロも走るそうだ!!
AIによる水野和夫氏の検索結果
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彼の提案は、現実的ではなく、実行可能性や効果性に欠けるというものです。例えば、彼は資本主義から脱却するために、「ゼロ成長社会」や「共同体経済」などの代替的な経済システムを提唱していますが、これらのシステムがどのように構築されるか、どのようなメリットやデメリットがあるか、どのような社会的・政治的・文化的な条件が必要かなどについて具体的な説明が不足していることが指摘されています。また、彼は資本主義から脱却することが人類や地球環境のためになると主張していますが、それが必ずしも正しいとは限らないことも指摘されています。
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資本主義や成長信仰がもたらした社会的・環境的・倫理的な問題に対して、深刻な危機感や不満を抱いている人。例えば、貧困や格差、気候変動や資源枯渇、消費主義や物質主義などに関心が高い人です。
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資本主義や成長信仰がもたらした経済的・技術的・文化的な恩恵に対して、満足感や感謝感を持っていない人。例えば、豊かさや便利さ、多様性や自由などに価値を見出さない人です。
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資本主義や成長信仰がもたらした社会的・環境的・倫理的な問題に対して、根本的な解決策として、資本主義から脱却し、新たな経済システムを構築することが必要だと考える人。例えば、ゼロ成長社会や共同体経済などの理念に共鳴する人です。
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資本主義から脱却し、新たな経済システムを構築することが可能だと信じる人。例えば、水野和夫の分析や提案に説得力や現実性を感じる人です。
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『資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)』3: この本では、資本主義の本質は「中心/周辺」という分割にもとづいて、富やマネーを「周辺」から「蒐集」し、「中心」に集中させることであると説明しています。しかし、近代を支えてきた資本主義というシステムは、金利がゼロに近づくことで利潤率がゼロになり、資本主義の「死」を意味すると主張しています。彼は、一六世紀以来、世界を規定してきた資本主義というシステムがついに終焉に向かい、混沌をきわめていく「歴史の危機」に我々は立っていると警告しています。
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水野和夫氏は、人類史に精通する経済学者として、資本主義の歴史的な発展とエネルギー・食料・国家との関係を分析し、資本主義の終焉と歴史の危機を予測しました。
水野和夫の資本主義論22.10.20
水野和夫さんは法政大学教授で「資本主義の終焉と歴史の危機」という本を書いている。同名の講演会がグリーン連合主催で、2018年3月29日(木)、文京区民センターで開催された。以下に講演内容というより水野さんの主張の要約を記してみる。
<要約>
・資本主義は地球上のどこを探してもフロンティアが残されていないことからその死期が近づいている。資本主義は「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」つまりフロンティアを広げることによって「中心」が利潤率を高め、資本に自己増殖を推進していくシステムとしている。アフリカのグローバル化が叫ばれている現在、地理的な市場拡大は最終局面を迎えており、もう地理的なフロンティアは残されていない。また金融・資本市場を見ても、各国の証券取引所は株式の高速取引を進め、百万分の一秒、一億分の一秒を争う取引ができるようなシステム投資を進めている。この「電子・金融空間」の中でも時間を切り刻み、一億分の一秒単位で投資しなければ利潤を上げることができなくなっている。「地理的・物的空間」からも「電子・金融空間」からも利潤を上げられなくなっていることは、資本主義を資本が自己増殖するシステムであると捉えれば、そのプロセスである資本主義が終わりに近づきつつあるというのが分かる。さらに重要な点として、中間層*1)が資本主義を支持する理由がなくなってきていること。それは自分を貧困層に落としてしまうかもしれない資本主義を維持しようとするインセンティブがもはや生じなくなっていること。こうした現実を直視するならば、資本主義が遠くない将来に終わりを迎えることは必然な出来事だと言えるはずと述べている。
註:*1)マルクスが歴史的必然であるとした唯物史観である資本主義から社会主義・共産主義への転換が進まなかったこととして、プロレタリアの窮乏化があげられるが、失業対策、労働・福祉政策等により資本主義が進化しそれなりの発展、中間層が拡大したことを言っている。
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彼の提案は、現実的ではなく、実行可能性や効果性に欠けるというものです。例えば、彼は資本主義から脱却するために、「ゼロ成長社会」や「共同体経済」などの代替的な経済システムを提唱していますが、これらのシステムがどのように構築されるか、どのようなメリットやデメリットがあるか、どのような社会的・政治的・文化的な条件が必要かなどについて具体的な説明が不足していることが指摘されています。また、彼は資本主義から脱却することが人類や地球環境のためになると主張していますが、それが必ずしも正しいとは限らないことも指摘されています。
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資本主義や成長信仰がもたらした社会的・環境的・倫理的な問題に対して、深刻な危機感や不満を抱いている人。例えば、貧困や格差、気候変動や資源枯渇、消費主義や物質主義などに関心が高い人です。
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資本主義や成長信仰がもたらした経済的・技術的・文化的な恩恵に対して、満足感や感謝感を持っていない人。例えば、豊かさや便利さ、多様性や自由などに価値を見出さない人です。
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資本主義や成長信仰がもたらした社会的・環境的・倫理的な問題に対して、根本的な解決策として、資本主義から脱却し、新たな経済システムを構築することが必要だと考える人。例えば、ゼロ成長社会や共同体経済などの理念に共鳴する人です。
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資本主義から脱却し、新たな経済システムを構築することが可能だと信じる人。例えば、水野和夫の分析や提案に説得力や現実性を感じる人です。
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『資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)』3: この本では、資本主義の本質は「中心/周辺」という分割にもとづいて、富やマネーを「周辺」から「蒐集」し、「中心」に集中させることであると説明しています。しかし、近代を支えてきた資本主義というシステムは、金利がゼロに近づくことで利潤率がゼロになり、資本主義の「死」を意味すると主張しています。彼は、一六世紀以来、世界を規定してきた資本主義というシステムがついに終焉に向かい、混沌をきわめていく「歴史の危機」に我々は立っていると警告しています。
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水野和夫氏は、人類史に精通する経済学者として、資本主義の歴史的な発展とエネルギー・食料・国家との関係を分析し、資本主義の終焉と歴史の危機を予測しました。
菅総理の脱炭素社会宣言に思う!
菅総理の脱炭素社会宣言に思う!
令和2年10月に菅総理が所信表明演説で、我が国は、2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、と宣言した。地球環境保全を目的に活動していた私にとって、信じられないことであった。とはいえ欧州や国連は5年前の「パリ協定」を採択して以来、着々と削減強化を進めていたので遅ればせの感は否めません。
私も70年代に公害担当者として県に職を得て以来、80年代半ばから地球環境問題に取り組み、90年代以降、地球温暖化防止活動にも取り組んできた。地球環境の危機は一般にも啓発が必要ということで、2005年には仲間とともに環境NPO法人を設立し、以来15年間活動を継続している。
菅総理の脱炭素化宣言により、やっと地球環境への危機感が伝わったかなという思いが湧くとともに、具体的な対応策が気になりはじめた。宣言では温暖化への対応は経済成長の制約とならないと述べ、むしろ産業構造や経済社会の変革をもたらし、大きな成長につながるとしている。鍵となるのは、革新的なイノベーションであり、省エネルギーの徹底と再生可能エネルギーの最大限導入と石炭火力発電を抜本的に転換するとしている。原子力は安全最優先。
しかし、急激な脱石炭は鉄鋼や電力業界などには厳しい目標です。再生可能エネルギーは狭い国土の日本にどのくらいの適地があるか大変不安です。陸地の風力発電は北海道や青森・秋田県が適地としてあるが、太陽光発電は今のところ平地の空地や地域の森林や里山に設置されている。宮城県内ではゴルフ場跡地や里山等が開発され禿山となり、雨天時の河川への流出速度が大きくなり豪雨災害のリスクが高まっている。
一方、住宅の屋根や工場の屋根などはまだ活用の余地がある。また農地を活用して作物を栽培しながら発電する営農発電は多いに期待されるが、これらをもって国内だけで既存の発電所分をすべてカバーできるか私には分からない。
現在、私自身も50kwの小さな発電所2か所を5年間運営している。ただ機器の劣化もあり、あと15年で更新するか否かの判断をしなければならない。その場合、コスト的にメリットがなければ止めるつもりだ。メガソーラ業者などは「FIT(高値買取制度)」があって利益があるから設置しているので、損するのであれば辞めるだろう。利益を求める資本主義の原理を生かしつつ、太陽光発電が成り立つのか、国土の狭い日本では無理で海底ケーブルなどにより大陸諸国と送電線を結び中国などの砂漠で発電した電気を買ってくるのか、はたまた地球環境を救う(地球を地救する)ため強制的・政策的に続けさせるのか、今の私には再生可能エネルギーによる未来社会を描くのは困難だ。
今、世界人口は78億人だ。1987年は50億人だったので、毎年約8千万人ずつ増えている。この人口増加が続けば2050年には100億人超となる。世界は成長しなければ食べていけない。にもかかわらず地球環境の危機に対して、脱成長とか、資本主義は成長しなければ終焉するとか、脱石炭・脱原子力以外は正義ではないというような「環境ファッショ」的な論調も聞こえてくる。
地球環境の危機に対して、私は省資源、省エネ、循環型社会などの「社会のグリーン化」には大いに賛成だが強制的な社会の在り方には反対だ。菅総理の脱炭素社会宣言に共感しつつ、国民一人一人が質的に豊かで生きがいのある「(寛容な)グリーン社会」の到来を期待するものです。
【ハプスブルグ家による欧州支配】
【ハプスブルグ家による欧州支配】
ハプスブルグ家は中世の13世紀から20世紀初頭までの約700年間にわたる欧州の政治と文化に大きく関与してきた。その影響範囲は中欧のオーストリアばかりでなく、スペイン、ポルトガル、ポーランド、ドイツ、イタリア、バルカン半島までとヨーロッパ全域に及んでいる。日本で言えば江戸時代の幕藩体制のようなものか、はたまた今のEUのようなものか。約700年に及ぶ支配の中で、異なる民族に多言語の違いをどのように克服したのか、結婚政策、フランスとの対決、オスマントルコの侵入、プロテスタント問題、・・・、サラエボの悲劇、ハプスブルグ王朝の終焉と続く歴史は興味が尽きない。
【ハプスブルグ家の歴史(1)】
ウィーンでは、ハプスブルグ家ゆかりの地と言うことで、オプション観光で新旧の王宮やシェーンブルン宮殿をガイドして貰った。何百年にもわたる王家の歴史の中で、女帝マリア・テレジア、ヨーゼフ1世がいつどこで何をしたと聞いても殆ど理解できなかった。山川の世界史をひもといて、中世のヨーロッパの歴史が神聖ローマ帝国と言う存在に大きく影響を受けてきたこと、帝国におけるハプスブルグ家の存在などにさらに興味が湧き、講談社現代新書「ハプスブルグ家(江村洋)」「戦うハプスブルグ家(菊地良生)」を読んでみた。
【ハプスブルグ家の歴史(2)】
ハプスブルグ家の歴史を読んでも、同じ皇帝の名が何人か出てきて、頭がごちゃごちゃになる。自分の頭の整理をこの場を借りてしてみたい。
とりあえずハプスブルグ家の源流はオーストリアではなく、スイスである。ライン川の上流、バーゼル近辺の田舎大名であった。「鷹の城(ハビヒツブルグ)」が訛って「ハプスブルグ」となった(Wikipedia)が、1273年にハプスブルク伯のルドルフがドイツ王(皇帝に戴冠していない神聖ローマ帝国の君主)に選出されて世に出た。以降、最後のオーストリア皇帝カール1世が退位する1918年まで続く(日本の天皇に次ぐ)名門家の歴史である。写真は「双頭の鷲」でハプスブルグ家(オーストリア帝国)の紋章であるが、「双頭の鷲」は神聖ローマ帝国や東ローマ帝国、東欧諸国の国旗などにも使われている。
【近代ヨーロッパの歴史の意義】
【近代ヨーロッパの歴史の意義】
近代のヨーロッパの歴史は、聖と俗が複雑に絡み合った覇権をめぐる歴史のようです。聖はキリスト教の新教(プロテスタント)と旧教(カソリック)の争い、世俗は神聖ローマ帝国の皇帝をめぐる争いで、ハプスブルグ家のヨーロッパ制覇の戦いです。ハプスブルグ家とフランス王家の敵対、オスマン帝国のウィーンへの攻撃、スペイン・ハプスブルグ家からのオランダの独立、そして三十年戦争における新教側のデンマークやスウェーデンの参戦、(カソリックでありながら新教側についた)フランスの参戦により終結。この後、神聖ローマ帝国の封建領主侯国からヨーロッパの各主権国家が成立していくことになる。中央ヨーロッパ(ウィーン)を訪れて初めてハプスブルグ家の歴史を読み返したが、フランス革命、第一次世界大戦、第二次と続くヨーロッパの覇権を巡る戦争の歴史の序曲が垣間見え、大変良い旅となった。